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武蔵野八幡宮 神輿保存会 吉祥寺「武蔵」 

武蔵野八幡宮 神輿保存会 吉祥寺武蔵

かって吉祥寺で神輿が出るのは、5月に行なわ れる五日市通りの八枝神社(お獅子様)の祭礼 でした。 昭和8年頃、停車場組(現在の消防団第3分団)を中心に神輿を作ろうと言う機運が盛り上り毎晩会合が持たれました(集会場所の小美濃京染店の畳が擦り切れた)。かけそばが1杯八銭の頃に1口10円の寄付を募ったところ、地元の商店から十分な額?が集まり、浅草までトラックで 買い出しにいき、神輿屋(岡田屋?)にて購入、 子供神輿がおまけに付いてきたそうです。帰りに は某所に寄り祝宴を上げ御寄付頂いた方には 各々酒一升を、御礼として配ったそうです。 戦後は昭和23年頃に再び担ぎ出されましたが、殺伐とした世相の中で、やくざと戦勝国の人達との諄いにまきこまれ神輿運行が地元 の人達の手を離れ、死人が出たり、店舗を壊したりしたため、祭りを中止させられました。 昭和28年頃に当時の青年部の手で、再度担ぎ出されましたが、2~3年で飽きられてしまいました。その後街の開発に伴って、神輿の 保管場所にしていた倉庫が無くなり、武蔵野八幡宮に少しの間置いていただくつもりが10数年間も放置することとなりました。

昭和48年各商店街が子供神輿や、レンタル神輿を出して祭りを再興すると、若手の中から自前の大人神輿が欲しいという思いが強く なり、八幡宮に放置してある神輿に気が付き、旧停車場組のOBの方達の御承諾を得て神輿の修復をしましたが、今までの経緯を知る につけ、祭りを続けていく為こぱ、神輿を保存する会と、保管場所の大事さを感じました。 また [武蔵] 設立の数年前からは、下火になっていた祭りが各地で見直され始め、担ぎ方やかけ声が、浅草三社から始まったと言われ る、ソリャ、ソリャに変り一般の若者の支持を集め、東京中の祭りが変って行った時期でした。

以前から神輿を担くのを趣味として各地の祭りに参加する同好会がありましたが、地元の神輿に対しては助っ人の立場から、礼儀正しく 地元の担ぎ手を立てていました。しかし祭りlが盛んになるにつれ、どこの街でも担ぎ手が不足し、食事、手当つきで募集するようになると、 無責任で無遠慮な新興の会が増え初め、我が物顔に振舞い、会同士で神輿の棒の取合いや、街を巡って蝿張争いのような事が起こる ようになっていました。 有名な都内の祭りも、担いで楽しい場所はごく一部で、大半が広い道路と、祭り当日は人気の無い事務所街です。吉祥寺は商店が 密集し、アーケードがあり、人があふれ、街が適唆な広さで神輿を担ぐ者にとっては格好の場所です。また吉祥寺は祭りが再興したばかり で、祭りの慣習等が定まっていないため、新興の同好会等の格好の標的となっていました。
そこで無責任な同好会から吉祥寺の祭りを守り、商店街を超えて若者の結束を堅め、親睦を計り、後世に祭りや神輿を伝えて行くこと を目的として、昭和51年10月18日神輿同好会吉祥寺 武蔵 結成されました。

http://musasi.net/p/

by kantoujp | 2018-07-28 11:56